人文研アカデミーは、正式発足したのが2006年4月なので、今年で10周年を迎える。早いような遅いような、印象はさまざまだろうが、ひとつの節目であるにはちがいない。ここらで少し過去を振り返ってみてもいいかもしれない。
「正式発足」とことさら言うのは、レクチャー・コンサートなどのイベント開催や全学共通科目への授業提供はその2年前から行っていたからである。今回、過去の資料を漁ってみたら、すでに2003年7月の「中期計画・参考資料」に言及があった。そこには「「人文研アカデミー」(仮称)を開設する」とあって、「本研究所は、研究成果の公開、社会還元の要請に応える活動の一環として、「人文研アカデミー」を開設し、一般市民、大学院生などを対象に、最新の研究成果を盛り込んだ質の高い講義、セミナーを提供する」と書かれている。注意すべきはそこに「春季および秋季、それぞれ10回程度の連続講義を行う」とあることで、当時はどうもこうした活動を目玉と考えていたようである(この「資料」を書いたのはたしか私なので、こんな他人行儀な言い方をするのはおかしいが)。これは現在も共同研究班の成果発表の場である春秋の「連続セミナー」に引き継がれているが、当時はむしろ個人の連続講義を考えていた。私の念頭にあったのは(大変おこがましいが)コレージュ・ド・フランスの講義である。
じつは、所報『人文』の「創立70周年記念」と銘打った第46号(1999)に「人文回顧Ⅱ―21世紀を展望して」という座談会が載っていて、以前所長だった吉川忠夫さんや阪上孝さんをはじめ、小山哲さん、金さん、冨谷さん、武田さん、私などが参加しているのだが、私はすでにそこで「コレージュ・ド・フランス方式というのを提唱したい。年10回程度、一般向けに授業をするのです。誰が聴きに来てもいいかわりに、単位などは出さない。共同研究をやるか、これをやるか、それを所員の最低のノルマとしたらどうでしょう。もちろん両方やる人がいてもいい」などと放言している。所員のノルマ云々は当然ながら完全にスルーされてしまったが、私は、当時コレージュに勤めていた友人から情報収集するなどして、案外大まじめにこの構想を考え、周囲に吹聴してもいた(誰が言い出したか、「コレージュ・ド・人文」などという、いま考えても恥ずかしくなるようなネーミングまで出ていたように記憶する)。手前勝手な言い方を許してもらえば、人文研アカデミーの発想の「ルーツ」はこのへんにあると言えるかもしれない。もう20年近くも前のことだ。
私の「妄想」はさておき、こうした議論が出てきた背景には、人文研の「教育的貢献」が焦眉の課題となりつつあったという時代状況がある。当時の所員の多くは、文学研究科への踏み込んだ協力にもまだまだ消極的だった。先の座談会で吉川さんは「(研究所の存続)と引き換えに、大学院を持って、教育にも乗り出さないといけない、というすり替えが起こっても問題です」と言っておられるが、この「すり替え」は、当時の所員の偽らざる気持を代弁する言葉だったろう。ただその一方で、独立研究科の設立を求める声があったことも事実である。研究所の本分はあくまで研究であるという思いと、研究だけをしていればよいというのはもはや通用しないという認識のあいだで揺れていたというのが現実ではなかっただろうか(この「迷い」はいまや完全に過去のものとなったように思われる)。そんななか、研究所独自の教育のあり方とは何か、従来からある定期講演会(夏期講座、開所記念講演会)とは一味ちがう新たな社会貢献のあり方とはどのようなものかなどと自問自答していたのである。先述した2004年度からの全学共通科目への授業提供は共同研究班を母体とするリレー講義だったが、これなどもこうした気運を受けてのことだった(一時期は人文部が提供するポケットゼミにも「人文研アカデミー」の名称を冠していたと記憶している)。もちろん所の「お墨つき」が得られる前の話である。
人文研アカデミーの事業内容や研究所での位置づけが「公に」議論されるようになったのは「人文研アカデミー設置ワーキング・グループ=WG5」(2003~2005)においてである(森さんが所長だったときで、当時は沢山のワーキング・グループが作られた)。行きがかり上、私が代表をつとめたが、WG5が2005年11月にまとめた「人文研アカデミー素案」では、「複数講師によるリレー講義」を、「原則として最終年度に入った研究班が担当するもの」として、「人文研アカデミーの中核事業と位置づける」と明記されている。人文研のアイデンティティーともいうべき共同研究の社会還元の場(印刷物とはまた別の形での)として位置づけるということだ。この原則はいまでも活きている。ただその一方で、単独講師(所員、ゲスト、名誉所員など)による連続講義、各種シンポジウム、全学共通教育との連携、青少年を対象とするジュニア・アカデミー、読書会など、提案されている事業はきわめて多様である。
かくして2006年4月、人文研アカデミーは正式に発足し、人文研の社会貢献窓口として活動を開始した。当初は京大記者クラブでプレス発表も行ったが、なんといっても大きかったのは、毎年3~4月に年間プログラムを印刷・公表するようになったことだろう。そこから逆算して年度ごとの準備作業日程を定め、新たに設けられた人文研アカデミー委員会(現講演委員会)がこの作業に当たった。これ以降のことは周知のところなので、多言は不要だろう。それにこの冊子に収められているボスターやチラシを見れば活動の軌跡はつぶさに分かるはずである。ヨガ教室や公開句会などといったユニークなイベントも催したし、京都アスニー、NHK文化センター、朝日カルチャーセンター、アンスティテュ・フランセ、京大博物館といった他機関との連携も活発に行った。年間10前後のイベントを催し、少ないときでも40~50人、多いときには300人を超える聴衆を集め、それを10年近くやって来たのだから、延べ動員数は推して知るべしである。いちいちお名前は挙げないが、イベントの主役をつとめていただいた方々はもちろん、アカデミー委員やオフィス・アシスタント、そして事務の方々のサポートのおかげである。
人文研アカデミーの活動は、学内や学外での認知度の高まりとともに、所内でも認知されるところとなった(少々皮肉な言い方だが、この順番は逆ではない)。いまや所の「実績報告」には欠かせない要素である。しかしアカデミーだけはルーチン化・硬直化してほしくないと思う。もともと自由な発想で、いわば「ゲリラ的」に、複数の方向性をもって始まった活動である。共同研究班による「連続セミナー」をいちおう別にすれば、何をどのようにやってもいいのである。面白ければいいのだ。10周年を機にこの「原点」を見つめなおすのも悪くないと思うのだが、どうだろうか。
大浦康介(人文研教授)
人文研アカデミーの10年を振り返るリーフレット「人文研アカデミーの10年」が刊行されました。巻頭言「10周年に寄せて」(大浦康介)、人文研アカデミーポスターギャラリー、インタビュー「人文研アカデミーの10年を振り返る」(語り手:伊藤恵(アクティブKEI取締役)・聞き手:小関隆)。ぜひご覧くださいませ。